お遍路25日目、6月2日はついに88番大窪寺にて結願(けちがん・88箇所を回り終えること)を迎えました!
いざ結願!88番大窪寺へ!
前夜泊まった「たいや旅館」を出発して、いよいよ最後のお寺となる88番大窪寺(おおくぼじ)へ出発します。
たいや旅館の近くの志度駅からバスに乗り、大窪寺を目指します。小雨が降る中、古いバスはカーブの多い山道をゆっくり登っていきます。
ついに到着した最後のお寺、88番大窪寺がこちらです。
大窪寺に参拝して御朱印をいただき、ついに25日間のお遍路が結願いたしました。
やっと88番まで回り終えた率直な感想は「やっと終わったー!」「疲れたー!」というものでした。
結願したのが6月2日の朝9:30ぐらいのこと。同じようにこの日大窪寺で結願したほかのお遍路さんたちと境内で喜びを分かち合った後、バスで志度駅まで戻りました。
結願した後やったこと
さて、本当はお遍路を終えたその日に飛行機に乗って帰りたかったのですが、あいにくこの日は日曜日で飛行機の空席がなかったため、四国でもう一泊して帰ることにしました。
まずは琴電志度駅から電車に乗り、香川県の中心地、高松まで移動します。
お遍路が終わった解放感からか、普段は飲まないミルクコーヒーなんか買って飲んだりしています。
JRホテルクレメント高松に宿泊
高松に到着してチェックインしたホテルはJRホテルクレメント高松。以前ここが全日空ホテルだった頃に一度宿泊したことがあり、もう一度泊まってみたかったのです。お遍路を全行程回り切った自分へのご褒美という意味も込めて、最後にちょっと高いホテルに泊まることにしました。
うどん食べ歩き
14時にチェックインして、向かった先は高松の繁華街。「讃岐うどん食べ歩きだー!」と称して、4軒ほど食べ歩きました。
うどん食べ歩きの結論としては、22日目に国分寺の近くで食べた「山下」のうどんが一番おいしかったです。
びわを食べる
「もうしばらくは四国の食べ物も食べられなくなるのかー」と思うと名残惜しくて、夕方には高松駅前のスーパーでびわを1パック買って食べてしまいました。
26番金剛頂寺(高知県)の宿坊で出されたびわがとても美味しくて忘れられない味だったのです。わたしの住んでいる千葉県もびわの産地なのですが、四国のビワは千葉とは品種が違うようで、個人的には四国のビワのほうが好みでした。
服を買い、髪を切る
お遍路の期間中はなるべくリュックを軽くするために必要最低限の着替えだけで過ごしてきましたが、お遍路が終わってあとは帰るだけになったので高松駅前でタンクトップと綿のチュニックを買いました。お遍路中はずっと「南無大師遍照金剛」と背中に書かれた白いTシャツを着ていたので、久しぶりに白以外の衣類を身に付けることができました。
また、お遍路中に伸び放題だった髪の毛も、高松で切りました。
最後に1日、高松で平和な休日を過ごすことができました。
お遍路終了翌日(26日目)
JRホテルクレメント高松のオーシャンビューとふかふかのベッドを満喫した翌日、6月3日。高松駅前からバスで高松空港へ向かい、いよいよ四国に別れを告げます。
と、その前にうどんをもう1杯。
25日間の厳しい修行から解き放たれて、好きなだけうどんを食べまくるわたくしでした。(まあ、お遍路中も遍路宿でおいしい夕飯を食べてましたが)
25日間のお遍路を通じて得たもの
2013年5月9日から6月2日まで、25日間にわたって四国を一周してきました。
25日間にも及ぶ長旅は初めての経験でした。
コミュニケーション能力の向上
わたしのお遍路マイルールは、基本徒歩で、公共交通機関がある場合は使ってよい、というもの。
旅の途中で、色々な人と出会いました。歩き遍路の人もいれば、自転車の人も、バイクの人も。自家用車の人もいれば、タクシー遍路や観光バスツアーのお遍路さんもいました。
お遍路さん以外にも、お寺の方や遍路宿の方、お店の方や遍路道の近くに住んでいる方など、様々な方と話す機会がありました。
わたしは元々コミュ障なところがあるのですが、旅の最中は不可抗力的にいろんな方とお話ししなければなりません。
お遍路を通して、少しだけコミュ力は上がったかな?という気はします。
中でも、「こんにちは」というフレーズはあらゆるコミュニケーションの糸口となる魔法の言葉である、ということを学ぶことが出来たのは、その後の人生にも大きく役立っています。(そんなこと、普通の人は子供の頃に自然に学ぶのかもしれませんが、コミュ障のわたしは30代のお遍路で初めて知ったのです…)
精神修養の成果
コミュニケーション面以外では、25日間の「修行」を通して、「何はなくとも生きていける精神力」や「忍耐力」は確実に身に付きました。
お遍路の間は毎日が冒険で、「リアルRPGみたいだな」といつも思っていました。山道をひたすら上り続けるのは精神修養になりましたし、イレギュラーな事柄が発生した際に自分の心が何を感じ、どう対処するのか、というのを繰り返すことで成長することが出来たと思います。
価値観は変わらなかった
お遍路に出る前は、お遍路に行くことによって自分の価値観が変わるんじゃないかと期待してたのですが、残念ながら自分の価値観はお遍路で変わることはありませんでした。
お遍路に2周、3周と出る方も多いと聞きますが、もしかしたら彼らは「いつかお遍路が自分の価値観を変えてくれるかもしれない」という期待感を持って旅を続けているのかもしれないな、と思いました。
おわりに
わたしは今のところ2周目のお遍路に出る予定はないですし、きっと将来的にも「もう1周しよう!」と思う日は来ないのではないかと思っています。
きっと60代や70代になったわたしは、「ああ、30代の体力のあるうちにお遍路に行っておいてよかったなぁ」と感じるだろうと思います。
将来おばあちゃんになった時にお遍路のことを思い出せるように、このブログにお遍路の記録をきちんと残しておこうと思ってここまで書いてきました。
わたしの旅の記録が、これからお遍路に出る誰かの役に少しでも立てたら嬉しいです。
おわり