87年千葉東方沖地震の記憶

87年千葉東方沖地震の記憶

ここのところ千葉県で立て続けに大きめの地震が起きている。
そんな時、こんなネットニュースを目にした。

千葉で87年にM6.7地震 フィリピン海プレート内部 政府調査委

「87年地震」という言葉を見た瞬間、今まで忘れていた記憶が脳裏に蘇ってきたので、とりとめもない昔話だがブログに書いておこうと思う。

時は1987年、まだ昭和天皇崩御前の昭和62年のことだ。
当時わたしは小学生だった。
Wikipediaによると地震発生時刻は12月17日(木)11時8分とのこと。

千葉県東方沖地震 (1987年)

正直、地震発生時の記憶はない。
おそらく小学校で授業を受けていたのだろう。
小学校のあった千葉県市川市は震度4だったはずだ。

地震があって早く下校することになったのか、それとも15時ぐらいまで授業をして下校したのかも記憶にないが、今回蘇ってきたのはその下校時の記憶なのだ。

私立の小学校に通っていたため、周りの学友はほとんどが帰りはバスから電車を乗り継いで帰宅していた。
わたし自身はバスのみの通学経路だったため、友達数人と一緒にバスに乗り込んだ。

バスでJR総武線の本八幡駅に着くと、人でごった返していた。
どうやら電車が止まっているらしいのだ。
今と違ってインターネットが無い時代なので、電車が動いているかどうかは実際に駅に行ってみるまでわからなかったのだ。

そこで困ったのが一緒にバスに乗ってきた3人ぐらいの友達だ。
電車が動かなければ家に帰れないのだ。

わたしは当時本八幡駅から徒歩10分程度のところに住んでいたので「電車が動くまでウチで待ってればいいよ」と誘った。
その日は家に父も母もいない日だった。
ガラケーもスマホもない時代のことだ。
親の許可は得ず、100%わたしの独断でそうした。

歩くこと10分ほどで当時住んでいた家に到着した。
私立の学校で友達とは家が離れていることもあり、家に友達が来るというのは珍しいことだ。
家に帰れなくなった友達の胸中は不安が渦巻いていたであろうが、わたしだけは内心ちょっとワクワクしていた。

家の被災状況といえば、棚に飾ってあった陶器製の置物が倒れて割れたぐらいで、大きな被害もなかった。

家の中を一通り案内したあとは、一緒に遊んで電車の運行再開を待っていたと思う。

どうやって運行再開を知ったのかはよく覚えていない。
テレビで知ったのだろうか。

総武線が動き出したことを知り、わたしは友達を本八幡駅まで送って行った。

夜になって帰ってきた母からは、片付いていない家に人を上げたことを叱られた。
母は極度に世間体を気にする見栄っ張りなのだ。

「困っている人がいたら助ける」という自分の価値観と、「片付いていない部屋を人に見られて恥ずかしい」という母の価値観のギャップが小学3年生のわたしにはショックで、それでこのエピソードが記憶の奥底に刻まれていたのだろうと思う。

当時も今も、わたしは自分がした行いは間違っていないと思っているし、きっと母だって我が子が人として正しい行いをしたということは心の奥で分かっていたのだろうと信じたい。

当時ウチに来た友達の名前も顔ももう思い出せないが、「87年地震」と聞いて急に色々思い出してしまったので、ここに書き残しておきたいと思った。

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