最近依存症関連の本を色々読んでいる中で「デジタル・ミニマリスト」という本が目にとまりました。
日本風にいうなら「デジタル断捨離」とか「ソーシャル断食」に近いようなものかな、と思ってKindle版を買ってみました。
読んでみると、目先のやめるべきことだけではなく、思想や哲学などかなり深いところまで切り込んだ内容で、すごく読み応えがあったし読んでよかったと思える本でした。
どんな内容の本なのか
この本はさまざまな依存症の中でも、スマホ依存(特にSNS依存)に焦点をしぼった本です。
中でも、実際にデジタルミニマリストになるための「デジタル片づけ」の方法を具体的に指南している点がこの本最大の特徴です。
この記事でも、のちほどその「デジタル片づけ」のやり方について概要を書いておきます。
スマホ依存・SNS依存をやめたいんだけどやめられない!という人は、この本を読めば多分やめられると思います。(かなりのボリュームがある本なので読破するのが大変ですが)
「へぇ〜」と思った部分
スマホはスロットマシンである
この本には、「いいねが付いたかな」などと期待をしてスマホを開く行為は「当たりが出るかな」と期待してスロットマシンの前に座る行為と何ら変わらないと書かれています。
そう考えると、SNSに何かを投稿することは、スロットマシンにコインを入れる行為とイコールで結ばれます。
スロットマシンと同じように、「当たるか当たらないか分からない」(=いいねが付くか付かないか分からない)という不確実性が、より一層ドーパミンの分泌量を増やすため、人々はSNSから離れられなくなります。
また、SNSだけでなくネットサーフィンにも同じことがいえるというのはちょっと驚きでした。
たとえば、天気予報を見るためにYahoo!天気を開いたのに、いつの間にかそのページにあるYahoo!ニュースの記事をいくつもクリックして読んでしまう、なんてことは良くあります。
これも、「クリックしたら何か自分の感情を強く揺さぶられる記事に出会えるかもしれない」という期待感から行ってしまう行為なのだそうです。
しかも、自分にピッタリの記事には「たまに」しか出会えない、というランダムな報酬による不確実性が依存性を高めているのです。
さらに、SNSの場合はこのスロットマシンから出てくる報酬である「いいね!」に「承認欲求」という意味合いがあることが、更に人々を惹きつけています。
承認欲求は旧石器時代から「仲間から認められたい」という形で人間の脳に存在していたものだそうです。
SNSを提供する側の会社は、これらの事実をもちろん知った上で、ユーザーが最大限自分のサイトに長く滞在するようにありとあらゆる仕掛けをちりばめているのです。
いわば人間の脳の弱点につけ込むことこそが、彼らの狙いなのです。
当初のメリットよりデメリットのほうが巨大化している
初めてiPhoneが発売された時は「iPodと携帯電話の2つを持ち歩かなくてもよい」などといった可愛らしいメリットがフィーチャーされていたのに、今となってはスマホは私たちの脳を乗っ取るサービスで溢れており、害悪のほうがはるかに大きい状況です。
ほとんどの人はそんな事を意識すらせず、ただスマホが与えてくる無限の「報酬」を日々何も考えずに浴び続けています。
こんな状況では、自分の人生において本当に大切なことがおびやかされてしまう!そう気づいている人も一部います。
ただ、自ら気づいた人たちであっても、スマホによる悪影響から足を洗うのは簡単なことではありません。
脱出したいと思ったら、表面的なことだけでなく、自分の思想をしっかり持って、自覚的にデジタルデトックスに挑まなければ失敗するのです。
モノが増えれば増えるほど管理コストも増える
ミニマリスト系や片付け系の本ではよく見かける内容ですが、物というのは増えれば増えるほど管理コストが増えます。
物の保管スペースにお金がかかるのはもちろんのこと、物をきれいに保ったり、壊れた時に直したりといったコストもかかります。
たとえば、車を買うとガソリン代や車検代、保険代といったランニングコストがかかるのが分かりやすい例でしょう。
私たちのスマホの中でも全く同じことが起きているのです。
SNSをやることによって得られるほんのわずかな報酬のために、週に何時間もSNSに時間と注意力を持っていかれる。
果たしてそのことがあなたの人生にとってプラスになっているのか?という問いかけが本書ではなされています。
自分の生活の中でテクノロジーにどこまでの役割を持たせるかは自分がコントロールする
既にデジタル・ミニマリズムを実践している人たちは自分の生活の中でテクノロジーにどこまでの役割を持たせるかを自分で決定して、実践しています。
そして彼らはそのことに幸福感を覚えているというのです。
これは自己効力感(セルフ・エフィカシー)の高さが幸福度に結びついているのでしょう。
たしかに、無限に与えられるデジタルの海に溺れている状態よりも自分で選び取ったツールだけを使う状態の方が主導権が自分にあると言えそうです。
わたしもだんだんデジタルミニマリズムを実践したくなってきました。
人間は孤独と接続の間を行き来することが必要
スマホがもたらした常時接続の世界はつねに何かと「接続」されている状態を生み出しました。
でも本来人間は1人になって自分の内面を見つめたり、自分自身と対話したりする「孤独」の時間が必要なものです。
孤独の時間が全く取れないのが当たり前のデジタルネイティブ世代では不安障害になる率が圧倒的に高いそうです。
メンタルの健康のためにも、意識的にテクノロジーから離れる時間を確保することが必要だそうです。
ここでいう「孤独」は、他者の思考から完全に自由な状態を意味するので、そういう意味では音楽を聴いたり読書をしたりする時間は「孤独」の時間にはカウントされません。
人間の脳は空き時間には自動的に「社交」について考えるようになっている
旧石器時代から人との交わりの中で生きてきた人類の脳は、少しでも空き時間が出来ると自分と他者の関係、つまり社交について考え始めるように出来ています。
この脳の活動は「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれ、まだ社交活動などする術もない乳児であっても、何もしていない時には当該脳領域が活性化するというのです。
これはまさに、人間の本能は他者とのつながりを求めているという証拠なのです。
SNSは人間の幸福度を上げない
SNSが人間の幸福度を上げる数少ない局面として、「親しい人から自分向けのメッセージを受け取った時」があります。
これだけ聞くとSNSにもメリットがあるかのように感じますが、実は先ほどのメリットを打ち消して余りあるほどのデメリットがSNS使用にはあるのです。
大して親しくない人からのメッセージを受け取ること、他人の取り繕った幸せ風投稿を見ること、タイムラインの投稿にいいねを付けまくること。これらは、増えれば増えるほど幸福度が下がるという研究結果が出ているそうです。
人間の脳は本能的に他者とのつながりを求めるように出来ている、というのは先の段落にも書きました。
この脳の「デフォルト・モード・ネットワーク」は高度な処理機能を持ち合わせています。人の表情や声色から感情を読み取ったり、ボディランゲージから本音を読み解いたりといった具合です。
ところが、SNSでの交流はどうでしょう。テキストメッセージによるコミュニケーションではボディランゲージも表情も声色もありません。これでは高度に発達した脳は全く満たされず、幸福感を感じられないというわけです。
SNSでのコミュニケーションは筆者の言葉によると「価値のの低い」交流なので、脳が物足りなさを覚えてしまうのです。高速で走れるフェラーリを持っているのに、そのフェラーリをロバに牽かせているようなもの、という絶妙な比喩表現に深くうなづきました。
SNSを見るのではなく、親しい人に電話する、または直接話すという行為が一番人間の幸福度を上昇させるそうです。
会話中心主義になろう
オンラインでの価値の低い交流を極限までやめて、人との会話を中心に据えよう、というのが筆者の主張です。
とはいえ、これを実践するのは自分にとってはかなりハードルが高いと感じます。
1日の大半は睡眠と仕事に持っていかれますし、余暇時間にはやりたいこともあります。さらに、他人の思考から切り離された「孤独」の時間も確保したいです。
そうすると、残ったわずかな時間でリアルの人間と会って会話をするというのは全く現実的ではありません。
せいぜい、職場で人と話すとか休日に人と会って会話するとか、そのレベルになってしまいます。
果たして、そんなレベルでも「会話中心主義」と名乗っていいのだろうか、という不安はありますが、ひとまず実践してみようかと思います。
「デジタル片づけ」の具体的な実行方法
1. テクノロジーの棚卸し
現在自分が使っているテクノロジーをすべて書き出して、自分の人生に必須なもの(仕事に使うアプリとか)とそうでない物を仕分けする。
必須ではないけど捨てがたいものについては、使用条件を制限することで使用可能とすることもできる。(時間の制限をつけたり、誰かと一緒にいる時だけ使えると決めたり)
2. リセット期間中にテクノロジーの代替となるアナログ活動を見つける
何の準備もなくいきなりリセット期間(30日)に入ると、手持ち無沙汰になって失敗しやすいそうです。
デジタルを断ったぶんの時間を埋められるような、価値の高いアナログ活動(充実感が得られるもの)を用意しておくことが必須とのこと。
本書ではたとえば読書やレコード鑑賞、家族との時間を増やすことなどが挙げられていました。
3. 30日間のリセット期間
1.で決めたルールの通りにデジタルリセットを30日間実行します。必須ではないアプリはすべて削除します。
この期間内には、どのようなアナログ活動によって自分が充足感を得られるのかを試行錯誤する人が多いそうです。
その結果として30日後にはすっかり解毒されて、テクノロジーに追い立てられていた人たちも思考がスッキリ軽くなるそうです。
4. 必須ではないテクノロジーの再導入
30日間、必須テクノロジー以外のすべてをシャットダウンしてリセットが完了したら、次は必須以外のテクノロジーを徐々に生活に戻していきます。
といっても全てのテクノロジーを戻すわけではありません。
30日間のリセットによって研ぎ澄まされた自分の価値観をたよりに、そのテクノロジーが本当に自分の人生を豊かにしてくれるのかを見極めつつ、条件付きで少しずつ戻していくのです。
筆者が実施したデジタル片づけの参加者の中では、SNSについては週に1回チェックする、という条件付きで戻した人が多かったそうです。
おわりに
現代のデジタル氾濫事情は、例えるなら高度成長期の日本が何の疑いも持たず「モノを所有すればするほど豊かになれる」と信じてマキシマリズムに走っていた状況と似ているのではないかと思います。
バブルがはじけたあと徐々にマキシマリズムが影を潜めてミニマリズムが流行したように、あと数十年もすれば「デジタル・ミニマリズム」は「断捨離」や「こんまり」と同じぐらい、意識の高い人々の間で流行するんじゃないかと思います。
もし、デジタル片づけをやりたいと思っても実行するのは容易ではありません。なぜ実行するのか、自分の中で腹落ちしてから始めるためにも、この本を読んで納得したあとで始めてみることをオススメします。
わたしも早速、デジタル片付けに取り掛かりました。
経過報告は、このブログに書きたいと思います。